
こんにちは。
本日もブログ訪問ありがとうございます。
僕は新卒で都内の「番組制作会社(映像制作会社」に入社。そこでCA(カメラアシスタント)として1年弱働きました。本記事では僕の実体験。
「1年で映像制作会社を辞めた訳」を包み隠さずお話しします。
映像制作会社を1年で辞めたワケ
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結論からお話します、その理由はこちら。
◾️想像以上にパワハラがひどい
◾️いろんな人がいる
◾️深夜、早朝出勤は当たり前
主な理由は3点です。ちなみに一番の決め手は残業代が出なかったこと。
深夜手当は出る分残業代は出ませんでした。
タイムカードは全て8時間で自動的に切られます。
例えばその日から1週間、幕張でLIVEがあったとしてこんなスケジュールだったとします。※現にそうでした。
<当日>
午前10:00会社集合
午後13:00現地幕張到着
午後22:30終了※幕張会場近くのホテル泊
<後日>
午前6:30ホテルから現場入り
午後23:00終了
※これを1週間連続
<最終日>
午前6:30ホテルから現場入り
午後0:00終了/撤収
次の日の午前2:30会社到着
午前3:30会社での反省会終了
午前5:00帰宅
残業代がゼロなのが泣けます笑 これが僕が最短で1年で辞めたワケですが、下記もう少し色々詳細をお話しているのでよかったらご覧ください。
学生時代は「映画が好きで」

僕は中高と映画が好きで高校2年生くらいから漠然と「自分は映画に携わる仕事がしたい」そう思うようになりました。
特に好きな映画は洋画で「ロッキー」邦画では「新幹線大爆破」と渋めな映画が好きだった僕は都内の専門学校に通う事を決めて一人上京しました。
学生時代は寮生活で、17、18歳の自分には東京は輝いて見えました。地元の静岡とはまったく違う世界にウキウキして楽しかったのを覚えています^^僕の通っていた専門学校では講義にマドンナのMVの監督がきたり、科は違いますが声優科ではワンピースの声優さんが講義をしたりと、本物の授業が聞けれたのは貴重な経験でした。
また卒業旅行先のロサンゼルスでも多くの刺激を受けました。

そんな学生生活をへて・・・
新卒で某映像制作会社に就職

2020年のコロナ真っ只中に僕は某映像制作会社に新卒で就職しました。
会社の概略はこんな感じです。
◾️主な事業内容
・テレビ番組の企画制作
・企業プロモーション映像の企画制作
・番組・イベント・映画・CMの撮影収録
・CG制作
・映画・演劇など催物の企画制作
・声優・俳優のマネジメント業務
そんな会社で僕は約1年間と少し。カメラマンとビデオエンジニアをしていました。最初の頃はカメラマン志望で、カメラグループに所属。
昨今パワハラ、セクハラが社会で取り上げられてはいますが
「まぁ、パワハラのひどい職場環境でした笑」
基本、映像制作会社は派遣もやっているので他社の現場に技術の派遣で外注されることが往々にしてあるのですが、自社の社員は顔もわかるのでいいです。
でも新人一人が外注で他社の現場に対して説明もされずに行かされるのですから、たまったものではありません。
案の定、僕の初めて外部の案件は某アイドルグループ欅坂の無観客LIVEだったのですが
(コロナ禍だったので無観客配信とか当時は多かった)
「まぁ、いきなりトラウマレベルに怒られました笑」
だっていきなり現場集合でロクにタイムスケジュールも説明されず、
会場のカメラ図面を渡されて基本放置ですからね笑 先輩の背中を見て覚えろタイプです。
専門学校で少しはカメラを勉強しているからなんとかなりましたが、
それでも一瞬、僕は致命的なミスをしてしまいました。
カメラケーブルを一瞬、踏んでしまったのです。
カメラケーブルとはその名のとおり、カメラの電源ケーブルです。
LIVEや中継などで使用される中継カメラには絶対に電源が切れて事故にならないようカメラケーブルと呼ばれるケーブルで電源車と呼ばれる専用の電源専用の車とを繋いでいます。
またそのケーブルは会場全体に見えないところに張り巡らされており、
当然カメラ班=映像班はそのケーブルを図面を見ながら数人がかりで設置しているのです。※ケーブルは重いもので数キロを超えます。全て人力で会場の隅々に張り巡らされ、観客の見えないところでスタッフは苦労しているのです。
話がそれました笑
カメラケーブルを一瞬、踏んでしまったその瞬間。
「おい、お前!ケーブル踏むなよ!!」
顔も知らない謎のカメラマンからいきなりの怒号。そりゃ、カメラの命であるケーブルを踏んだとはいえ新人の僕に容赦はありません。
ぶっちゃけ相手は僕が新卒で入ったことなど関係ありませんし、僕が誰であるかはお構いなしです。いやはや恐ろしい業界に入ったぞと思いましたが後にその人を調べてみたら、
他社の映像制作会社で撮影監督してる人でしたね。
てな具合で約1年と少し。いろんな現場にいきました。
ゴルフ番組の収録
バラエティの収録
報道番組の収録
日向坂のLIVE
白石麻衣の卒業LIVE(無観客)
そんな中で途中僕はVEに逃げました笑VEとはビデオエンジニアの略です。現場で怒られるカメラより、まだサブコンにいるVEの方が羨ましく思えて笑
サブコン=サブコントロールルームの略。
これがサブコンです↓
写真引用元(僕の母校です)
もちろんVEだって楽な仕事ではありません。もしろカメラ以上に責任のある職務です。
カメラの色調整は全てVEの仕事です。だけどひたすらもうあんなに過激に怒られたくなくてVE志望にして課を変えてもらいました。
VE課の最初の業務担当はVTRでした。うちの会社で持っているレギュラー番組のVTR担当です。なので基本は収録日時も終わり日時も決まってるのと現場も確定してるので
やたらデカいライブ会場とか、
スポーツ中継なんかより僕は非常に楽でした笑
とまぁ、なんやかんやあって僕は1年でこの会社を辞めました。
同期は大卒、専門卒を含め計12名くらいでしたが
おそらく今残っているのは2名くらいでしょうか。
それぞれの転職先は銀行関係だったり、
事務関連、再び映像制作系と様々でした。
僕が辞めて約1年後くらいに同期で集まった会があってそこで知りましたが。
残業は月115時間が最高だったかな。
先輩は150時間以上ザラでした。
会社で寝泊まりしてるディレクターもいたので、彼らはそれ以上でしょうね。
ただ月115時間残業しても残業代0円というのは泣けましたが笑以上がこの会社を1年で辞めたワケです。
無論その中でも僕に優しく常に心配してくれた先輩はいましたし、毎回その方と同じ現場では収録終わり等にご飯に連れて行ってくれたりしてくれました。
今どうしているんだろうな・・・。
厳しい職場だった面、早々に社会の厳しさをしれましたし成長できた面もあったのではないかと思っています。現に新人時代には本当に多くの方にご迷惑をおかけしました。
また、自分は好きなことを仕事にすることができませんでした。これは大きな気づきでした。
自分に合っている仕事は、
「自分が好きなもの」とは限らない。
そう実体験したのは収穫だったかもしれませんね。以上です。次回はその次に転職した会社についてお話できたらと思います。
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ギャンブルを知らない私がなぜ競馬サイトのサイト運営をやることになったのかお話できれば幸いです。ぜひ皆様からのコメントもお待ちしています^^
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